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ヴァイオリン協奏曲第1番 (ショスタコーヴィチ) : ミニ英和和英辞書
ヴァイオリン協奏曲第1番 (ショスタコーヴィチ)[う゛ぁいおりんきょうそうきょくだい1ばん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ヴァイオリン : [ヴぁいおりん]
 【名詞】 1. violin 2. (n) violin
: [きょう]
  1. (n-suf,n-pref) cooperation 
協奏曲 : [きょうそうきょく]
 【名詞】 1. concerto 
奏曲 : [そうきょく]
 (n) (abbr) sonata
: [きょく, くせ]
 【名詞】 1. a habit (often a bad habit, i.e. vice) 2. peculiarity
: [だい]
 (n,pref) ordinal
: [ばん]
 【名詞】 1. (1) watch 2. guard 3. lookout 4. (2) bout, match (sumo) 5. (3) (one's) turn
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヴァイオリン協奏曲第1番 (ショスタコーヴィチ) : ウィキペディア日本語版
ヴァイオリン協奏曲第1番 (ショスタコーヴィチ)[う゛ぁいおりんきょうそうきょくだい1ばん]

ドミートリイ・ショスタコーヴィチヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 作品77は、1947年から1948年にかけて作曲されたヴァイオリン協奏曲である。曲の長さ・内容・オーケストレーションとも大規模であり、交響曲に匹敵すると言える。ショスタコーヴィチの傑作の1つである。
本作は、ヴァイオリニストのダヴィッド・オイストラフに献呈されている。
== 作曲・初演の経緯 ==
作曲は1947年7月21日に開始され、1948年3月24日に完成した。しかし、12音技法を使うなどの前衛的な書法と、1948年2月に共産党中央委員会によりジダーノフ批判が始まったことから、ショスタコーヴィチは発表を控えた(詳細は「作品番号」の項参照)。
この頃のショスタコーヴィチは、「若き親衛隊」(1948年)や「エルベの邂逅」(1949年)など、ソヴィエト的テーマの映画音楽を相次いで書いていた。これらの音楽において彼は、大衆との結びつきを目指したと言われており、ヴァイオリン協奏曲第1番も全曲に通奏低音のように流れるユダヤ趣味をはじめ、ロシアの民族的要素が主導的役割をもっている。しかし、この曲でショスタコーヴィチは確かにロシア民族の本性に立ってはいるが、社会主義リアリズムの「形式は民族的」を皮相的に解釈したような、単に民謡や民族舞踏のリズムを流用に留まってはいない。ショスタコーヴィチは、インターナショナルな内容を追求しながらも、なおかつ民族的な表出を持ったものを完成しつつあった。
そしてこの方向は、映画音楽「ベルリン陥落」やオラトリオ「森の歌」、合唱曲「革命詩人の詩による10の詩」(1951年)、カンタータ「我が祖国に太陽は輝く」に連なり、大衆歌の様式と結びつけて伝統的なロシアの合唱音楽の形式が、現代的感覚の中で発展させられた。戦前戦後を通じて、ショスタコーヴィチがこれほど民族的であったことはないと言われる。
しかしこれらの要素で、ショスタコーヴィチが政治に屈服したとか迎合したとかいうのは無意味であろう。1947年のモスクワ外相会議に始まる米ソの対立から1949年の北大西洋条約成立による2つの世界の国際的緊張、1950年の朝鮮戦争勃発等を考え合わせれば、ショスタコーヴィチがどのような形でソヴィエト国家の社会的要求に応えなければならなかったかがわかるだろう。また、ソヴィエト芸術家としてショスタコーヴィチは勇気と自信にあふれてこの道を進んだに違いないのである。
ヴァイオリン協奏曲第1番は、スターリン死後の雪解けの雰囲気の中、交響曲第10番の初演が一応の成功をもって終え、ジダーノフ批判が一段落したと考えられた1955年、曲の完成から約7年が経った頃に発表された。では、何故、ショスタコーヴィチはヴァイオリン協奏曲第1番を発表したのだろうか。交響曲第10番との2年間の空白は何を意味しているのだろうか。ここで、1955年12月31日、オイストラフがミトロプーロス指揮のニューヨーク・フィルハーモニックでアメリカ初演する際のインタビューにある「交響曲第10番に酷似した最新の作品」という発言を伏線として、本作と交響曲第10番との親近性が偶然ではないことを再確認しておく必要がある。
1948年のジダーノフ批判を機に、スターリンの死の直後までくすぶったソヴィエトにおける「音楽論争」は、またしても問題のすべてを振り出しに戻してしまったかのような観を与えた。つまり、価値観の判断材料が「社会主義リアリズム」か「ブルジョワ・フォルマリズム」か、或いは「ナショナリズム」か「コスモポリタニズム」かの二元論に還元されてしまったかに見えたのである。しかし、ジダーノフとスターリンの死後、「ソヴェーツカヤ・ムージカ(ソヴィエトの音楽)」に発表されたハチャトゥリアンの論文(1953年)や共産党機関紙「プラヴダ」に掲載されたショスタコーヴィチの論文(1956年)に見られるように、ソヴィエトの社会主義芸術は「創造性」や「個性」に漸次的にではあるが、再び注目し始めた。
そういった「創造性」や「個性」が、ソヴィエト音楽の中でどのような姿で示されたか、または、それがかつてのフォルマリズムといわれたものへの完全なる回帰ではないにしても、ジダーノフ批判以前の音楽とどういうパースペクティヴを形成しているのかといった疑問への回答が、個々の音楽作品の中でどう具体的に昇華されたかを考える上で、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番と交響曲第10番とを比較検討することは大変に有意義な結果をもたらすであろう。
そう考えると、ヴァイオリン協奏曲第1番は、交響曲第9番(1945年)で成し得なかった、ショスタコーヴィチのこの時期の音楽的成果のひとつの現れがあるとみることができる。つまり、この作品の中には、この時期までのショスタコーヴィチの音楽の主要素であった、「若干の現代的手法」の上に何を加えるか、という問題への作曲者なりの回答の断片と萌芽を見出すこともできるのである。
初演は1955年10月29日エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団、ヴァイオリン独奏ダヴィッド・オイストラフにて行われた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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